良薬口に苦しは本当か!?自然な味覚のジャッジから真偽を判定!

頭の反応と体の反応。頭で良いと思っていても体はそうとは判断しない。苦みをテーマに味覚の自然を眺めると、私たちの周りに氾濫するウソやまやかしが明らかになってくるのです。
■目次
1、苦くてもマズくても食べることの意味は!?
2、自然な味が教える味の四分類の定義とは!?
3、2つの選択・あなたはどちらを選ぶのか!?
4、医療は本当に進歩しているのか?結果を見ると!?
5、あの哲学者の言葉に学ぶ自然で無理のない生き方とは!?
残さず食べなさい!
苦くても、マズくても全部食べる。残すことは悪いこと。私たちは親からも先生からも、そのように言われてきました。
ピーマン嫌いの私は、噛まずに涙ながらにノドを通した、そんな日のことを思い出します。
食材への感謝、調理してくれた人への感謝。残さず食べるは感謝の証、それはそれで大切なことなのでしょう。でも、それが本当に健康でムリのない食べ方といえるのか?
苦くてもマズくても残さず食べる、それは本当に体に良いことなのか?
ココでは「味覚」の自然を見ることで、健康で安全な食卓づくりのポイントを考えてみます。
■味覚のジャッジは!?
苦いものに対して私たちの味覚は、
「毒」と判定します。
苦みは毒の象徴なので、あらゆる苦みも逃さず探知できるようになっている。私たちの味覚にはこうした防御機能が備っているのです。
甘味や塩味に対してはほとんどノーガード。甘味は体の活動源、炭水化物の象徴だからほとんど警戒しない。塩味は体内のミネラルバランスの象徴だからガードしない。
でも、苦みに対しては手厳しい。苦みを感知するための味覚のリセプターは約30種類も備えられているのです。
また酸味は新陳代謝の象徴である一方、腐敗を意味するサインでもある。
もし、腐敗したものを食べてしまえば病原菌を大量に体に送り込んでしまうことにもなります。そんなオゾマシイ結果を防ぐために、酸味への警戒も怠らないわけなのです。
毒の侵入、腐敗物の侵入、これらを絶対を許さない。味覚のリセプターが体内への侵入を水際で阻止する。
それは私たちの体はそのようになっているのです。
■どちらの声を聞くのか!?
実際に、苦いクスリなどを子供に飲ませる際は大変です。泣き叫び全力で嫌がり、暴れたりもする。オブラートに包んだり、シロップに混ぜたりしないと、飲ませることは難しいわけなのです。
体は苦みを毒と認識し、体内への侵入を許さない。苦いものを食べることを体は許さない。だからこそ、
「良薬口に苦し」
そうした教訓めいたものになぞらえて頭で理解させようとする。そのことで、本来口にしないはずの毒を何とか飲ませようとする。
オブラートに包んだり、糖衣をまとったり。それは知識でむりやり毒物を飲ませるための行為といえそうです。生き物は本来、口にして良いものと悪いものとをきちんと見分けるだけの力が備っているものなのです。
苦いものは体に良い影響を与えない。でも医者や製薬会社、学者などは何とか日々継続して飲んでもらおうと躍起になっている。”良薬口に苦し”もそうだし、医者の権威を盾にするなどして。
苦み果たして毒なのか?それとも良薬なのか?その判断は、
体の声を聞くのか?それとも医者や識者の言うことを聞くのか?
その選択ではないかと思うのです。
■医療の正しい進歩とは!?
私たちは自らに備わった機能を軽視する傾向が強いように思います。
実際に野生動物も家畜も、苦みが強いものを自ら進んで口にしようとはしないものです。以前、「某高級ブランド牛の作り方」というビデオを見ましたが、肉質を良くし、味を深める目的で牛にビールを飲ませるシーンが映されていました。
がんじがらめで身動きが取れない状態にされ、無理やり喉の奥にビール瓶を突っ込まれる。動けないにも関わらず、何とか逃れようと必死に体を動かして、白目を剥きながら体内への侵入を阻止しようと全力でもがく。
そんな牛の姿が印象的だったわけです。私たちは自らに備わった自然な感覚を信用し、それを研ぎ澄ますべきではないでしょうか?
自分の体に判断を尋ねるのではなく、医者や学者、日々大量に流布する健康情報ばかりを信用しているように思うのです。
医療は進歩している、私たちはそのように思わせられていますが、進歩とは裏腹の結果があることも隠し切れない事実。
日本人の約半分がガンになるし、アレルギー疾患も国民の2人に1人、高血圧症は4300万人、糖尿病は1300万人と言われます。
これだけ膨大な病人を作り出しておきながら、”進歩”を語るのは正直おこがましい。医療の限界を卒直に認め、病気にならない環境づくりをしっかり行う。このことが大切なのではないでしょうか。
医療常識、健康情報、これらの背後には製薬会社や医療機器メーカー、保険会社などの思惑がある。これらを見抜くだけの感性と知識も必要ではないかと感じます。
■ゲーテの言葉に学ぶ
食べられるかどうかの判断は賞味期限の記載に全てを委ねる。
健康になれると信じて飲みたくもないのに日に何リットルもの水を飲んでしまう。人工の化学物質のカタマリであるサプリメントなどを日々何回も何種類も飲んでしまう。
ちょっとした症状でも医者に相談し、処置や処方箋をもらわなければ不安で不安でたまらなくなってしまう。
私たちは自らの備わった感覚よりも、誰かが言ったことや世間一般の常識を重視する。こうしたことがあまりに多いと感じるのです。
「五感は誤らない。誤るのは判断である」
ドイツの哲学者であり詩人でもあるゲーテの言葉です。
五感が誤りを起こすのは、その発達が未熟だから。日々研ぎ澄まし、磨き続ければ判断を誤ることはなくなっていく。
それは医者や学者の言うことではなく、自分自身に答えを求める態度と言えるでしょう。
私たちの「五感」は体を守るための大切な防御機関でもあります。自然で無理のない生き方、ナチュラル・ライフとは、体と心の自然な要求に即して生きるあり方です。
それはモノゴトの判断基準を医者やクスリといった自分以外の「外」に答えを求める生き方では決してない。生命は何でも知っている、このことを前提に自らの「内」に判断を委ねる暮らし方といえるでしょう。
もっと自分の体が発するメッセージに耳を傾けたいものですね。
■このページのまとめ
・味覚は苦味を毒・酸味を腐敗の象徴として警戒している ・良薬口に苦しは体にとっては不自然なものである ・医療は進歩とは言い難い散々な結果しか出せていない ・私たちの体は何が必要で何が不要かを見極める力がある ・ゲーテの言葉通り、五感を育てることが大切になる |
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