速度重視で健康が守れるか!現代スピード狂批判

より速く・より多く!の追及の結果もたらされた副作用とは?偏った目的遂行のために犠牲となったものの姿を確認し、新たな時代の必要を模索する。スピード変更からの新たな選択、このことについて考えて見たいと思います。
■目次
1、スピード信仰と自然な暮らし
2、筋肉依存からの脱却はこう実現!
3、より速く・より多くに意識が変革!?
4、農業にもスピード変革の波が進む!
5、問診・触診からオンライン管理へ!
6、生き物の適正な成長速度を取り戻せ!
「遅い!」
待つことに寛大だった時代はすでに過去のもの。
”グズグズするな!”
”待たせたらお客が逃げちゃうぞ!”
”チンタラしてたら日が暮れちゃうよ”
私たちはスピード最優先、他の何よりも速度を重視する傾向があるのです。
”石の上にも三年”、そんな言葉はすでに昔のこと。新人であろうとお構いなしで、即戦力であることが要求される。スピードへの飽くなき信仰は私たちの時代の精神となっているのです。
電話に自動車、航空機、そして極めつけのインターネット。昔に比べて何をするにも時間は驚くほど短縮された世の中になりました。でも、技術の発達が進めば進むほど、
”速く”!
”遅い!”
”時間がない!”
こんな風にますます追い詰められているようにも感じるのです。
そこで今回は「時間」をテーマにすることで自然な暮らしに役立つポイントを考えてみたいと思います。
■筋肉依存からの脱却!
スピード重視の私たち。それがいつから具体的に始まったのかと言えば、
「産業革命」に起源がありそうです。
18世紀後半のイギリスで起こったものですが、それによりマニファクチュアと言われる手工業の時代が終わりとなりました。そしてそれまではあり得なかった技術革新の時代が到来したからです。
ダービー親子のコークス製鉄法やジェームズ・ワットによる蒸気機関の発明が劇的な変化をもたらしたのです。蒸気船や蒸気機関車といったような機械を使った”動力革命”。それが産業革命だったのです。
それまでの動力と言えば、何といっても筋肉。肉体を使って行う動力の乏しい「肉体労働」が主力でした。人はもちろん、牛や馬などの筋肉も総動員で活用するスタイル。
作物の栽培に必要なタネまきや収穫も人の筋肉によって行われる。戦争となれば、人馬一体となって戦う。生きものの筋力をフル活用する社会のあり方だったのです。
激しい労働に耐えられる、そんな働き手の育成を狙って「相撲」などは競技化されました。優劣を競わせることで、筋力の向上を怠らないことが奨励されたのです。筋力をベースに経験や熟練の技、それらを積んだ者が花形。そんな時代であったと言えるでしょう。
でもそこに大変革が訪れる。労働の主力が生き物の筋力にとって代わり機械の動力が用いられることになった。産業革命はこの変化を決定づけたわけなのです。
■意識の変化も進行!
人や牛馬が必死に筋力を動かさなくても、機械が大部分を代行してくれる。
よって筋力の強さはさほど重視されなくなる。筋力社会では活躍の場が限定されていた女性たちも社会へどんどん参加していく。
体力や練度を不要とする新たな時代の幕開けとなったのです。そしてそれは大きな意識変革、スピードへの概念を塗り替えたわけなのです。
大量かつ迅速、このテーマの実現に向けてあらゆるものが変化していった。機械による動力革命は人類史上未曽有の時間革命をもたらしたのです。
そして私たちの意識にも、
「もっと速く、もっと多く」
この思考パターンが定着し当たり前となり、正義になりました。経済学で言えば、生産性と効率を上げること。緩やかに上げるのではなく、飛躍的に上げることが求められるようになったのです。
速く・多く、私たちの思考は速度の追求へと傾斜していったわけなのです。
■農業の速度変革
この変化は農業においても劇的な形で起こりました。
それまでの有機肥料にとって代わり、化学肥料が主役となっていきました。
有機肥料は家畜の糞尿や人糞などを使ったものですが、確かに効果はありました。でも肥料成分は粗く散りばめられたような形になるので、効率がワルイ。植民地獲得が国家の至上命題となる、戦地に大量の食糧を送り込むにはチンタラしていられない。
もっと速く・もっと多くの収穫実現には、肥料の精度を高める必要が生じたのです。
与えればすばやくグングン成長していく、そんな肥料をどう作れば良いのか?農業においてはこのことが課題となりました。試行錯誤の末に、1913年に世界初の化学合成肥料が発明されたのです。
化学肥料は確かに、スピーディーで大量の収穫を実現しました。さらに並行するかのように開発された化学合成農薬を併わせて使えば、農家個々の経験や熟練の技術は不要になる。
化学肥料と化学合成農薬の登場は農業を誰にも簡単にできるものへと作り変えられていったのです。でも、
化学肥料は“速く・多く”の収穫物を得ることだけに目的を特化したもの。率直に言えば、胃袋をただ満たすだけの収穫物さえ得られれば良いわけです。作物に含まれる栄養価、農薬を使うことでの人体や環境への影響、これらは鼻から考慮されていない。
量とスピードだけを重視し続けた結果、食べる人の健康、土壌汚染や砂漠化、地下水、河川の汚染、こうした問題を引き起こしてしまったのです。食品添加物の問題も根っこの部分は化学肥料と同じなのでしょう。
そのことからより自然の摂理に則した食材を求める声が高まり続けているのです。
■医療も三分診療へ
飽くなきスピードへの挑戦は医療の分野でも同じです。
一人一人、丁寧に症状を詳しく聞いて調べて、生活環境を指導して・・・。そんなことはあまりに非効率でやっていられない。
患者の顔色を見て、触診してというような医療のあり方からパソコン上の画面を見て処方する。そんな「三分診療」こそが効率が良い。居並ぶ膨大な患者を迅速に捌くためには、大雑把に病名を分類して、それぞれに違うはずの症状を一刀両断で記号化する。そしてそれをパソコン上に記憶させ管理していく。
患者の顔を見ずして、パソコンの画面ばかりを見るから患者の取違いが起こってしまう。
このようなものへと変化していったのです。
■生き物本来のスピードを!
食べもの、医療、教育、住居、仕事・・・。
私たちは全ての領域において、どこまでもスピードを追い求めているようにも感じます。
「信じ・許し・待つ」、そんな悠長な姿勢は過去の遺物。何事においても、速効・速成・速習、こうしたものばかりが求められているのです。
スピードを全面否定するものではありませんが、その行き過ぎはやはり問題があると感じます。
味噌は熟成に10か月、醤油は1年、このような適正な速度の相場が生きものにはあるのですから。適正で自然な本来のスピードを顧みることも同時に持つ必要だと思います。つまるところ、スピードばかりを求めれば、犠牲になるのは常に「安全性」になるのですから。
筋肉依存型の社会から私たちを解放してくれた産業革命の歩みと恩恵にまずは感謝する。その上で同時に、自然本来の適正なリズムをも大切にする。
こうしたことが今求められているのでしょう。
今回はスピードについて考えてみました。
■このページのまとめ
・スピードを求めるあまりに時間に追われるようになっている ・産業革命による動力革命が筋肉依存社会を変革した ・農業では化学肥料が主役となり、生産性が向上した ・化学肥料と農薬の活用は環境問題と健康被害とをもたらした ・医療も問診の時代は終わり三分診療に終始している ・生きものには成長に必要な時間があるので、適性を考えることも大切 |
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