初心忘るべからずのホントの意味・帰るのではなく挑戦!?

初心に帰る、初心を忘れない。私たちはそのように言いますが、忘れずに持ち続けることは可能なのでしょうか?ココでは能の大家の言葉の意味と人生のチャレンジについて述べてみたいと思います。
■目次
1、初めてのことが恐ろしいのは!?
2、初心についての誤解と本当の意味は!?
3、無収入も覚悟!?自然栽培1年目で直面するのは!?
4、脳の自然が教える老いとチャレンジとの関係は!?
初めてのこと。
不安と心配で心が覆われてしまいやすい。
未知のことだからその時点でリスクは100%。私たちはそれを危険と判断するためどうにも落ち着かない。
ヒザが震え、心臓が高鳴り、手に汗がにじんでくる。
きっとあなたにも、そうした経験があるのではないでしょうか?
“運転免許で初めて路上に出た時は・・・”
“人前でスピーチをしたときは忘れられないな”
“模擬練習をしたけど初デートは緊張でガチガチで・・・”
人それぞれ、さまざまな思い出があると思います。
モノゴトにおいて、初めの一歩が一番難しい。慣れ親しんだ世界から新たな世界への旅立ちが第一歩目。一歩目を踏み出うことができれば、二歩目は意外とカンタン。三歩目を出す頃には慣れてきて、やがて場慣れしていく。
様々な初めてを経験し重ねることで、人は大人の階段を昇っていくものなのかもしれません。
そこで今回は初めて、初心について考えてみたいと思います。
■初心の本当の意味とは!?
今から約600年前。
能の師匠で大家であった世阿弥が、
「初心、忘るべからず」
とその著書『風姿花伝』にこの言葉を残しました。志を抱いたその日のことをいつまでも忘れるな。様々な障害や困難、誘惑に直面しても初志貫徹!
入社式の訓辞などで常に引かれる言葉というわけです。
でも、私たちが感じる言葉の意味と世阿弥が意図したこととには乖離がある。世阿弥は最初の気持ちを忘れるな!というよりはむしろ、
「常に新たにチャレンジし続けよ!」
このことをその言葉に込めたと言われているのです。初心忘るべからずは心のあり方を述べたものではなく、常なる行動。どれだけ忘れまい!と強く願っていても、いつしか忘却の彼方へ行ってしまうもの。
だからこそ初心を忘れないためには、常に新しいチャレンジを自らに課さなくてはならない。チャレンジがなければ初心に戻ない。
それこそが世阿弥が指摘したことだったというわけです。
「変わらずに生きるためには、常に変わり続けなければならない」、ヴィスコンティ監督の映画『山猫』の名セリフと被るものがあるわけです。
「能」は芸事。芸事に完成などはあり得ない。常に未完成で発展途上のもの。この道を志し、それを極めたいと願うなら、挑戦を忘れてはならない。恐れることなく新しいジャンルに挑戦し続けよ。
その道を選び習熟したなら、後生大事にしてはならない。常なる高みを目指してまた新しい道へと向かっていけ。
この終わりなき循環を世阿弥は「芸人」に要求したのです。
自分磨き、芸ごとの追求はいつだってネバーエンディングストーリー。行動への意欲によってこそ磨かれ繋がれていくもの、そんな風にいえるのかもしれません。
■自然栽培1年目の困難
肥料も農薬も使わない「自然栽培」。
その栽培に取り組む生産者は勇気ある人々、そう言っても過言ではないでしょう。
肥料も農薬も一切使うことなく、作物が持つ生命力にすべてを委ねる農法だから、常に不安と心配に覆われてしまう。何ごとにおいても、初めての挑戦は不安なのですが、それはこの栽培においても同じです。
自然栽培の特徴として、タネを播いてから「芽」の充実を図る前に、地中深くどこまでも「根」を張り巡らせることに重点が置かれます。
地上部分が先ではなく、地下部分の充実が先。
そのため初めての生産者は大きな試練をいきなり迎えることになります。近隣の田畑と自分の田畑とを比べてしまい不安で居たたまれなくなってしまうのです。
隣りの作物は芽を出し、上へ上へと日々伸びていくのに、自然栽培1年目の自分の作物はまだまだヨチヨチ。果たして成長できるのだろうか?きちんと収穫できるまでに育つのだろうか?
心配ばかりが募ってしまうのです。家庭菜園なら別ですが、農家なら無収入も覚悟せざるを得なくなる。待てども待てども一向に成長しない。そのあまりに、
”もうココまでだ。肥料を使ってしまおう”
こうしてせっかく初めて未知へのチャレンジが頓挫してしまうパターンも少なくないのです。
また、これまで土に投入し続けてきた残留する肥料や農薬の成分、過去の異物を土から取り除くことも自然栽培を行う上では不可欠となります。
土は植物の体を使って過去の異物を取り出そうとする。具体的には虫や病気を発生させることで土の中の清浄化の作業が行われるわけなのです。
頭の知識としてはそのことは分かっている。でも、せっかくの作物が虫に食われ、病原菌に侵されていく姿を目のあたりにするのは断腸の思い。
「このままじゃ全滅だ。農薬を使わないとどうにもならない」
この衝動と闘わなくてはならないのです。
こうして1年目の困難を乗り越えた人が自然栽培の担い手となっていきます。そして年数を重ねていくことで、次第に素晴らしい作物を実らせていくのです。
1年目がなければ2年目はない。1年目がなければ5年、10年だって訪れることはない。
だから本当に自然で安全な食材を手にしたい私たち暮らし手は、試練と向き合う1年目の生産者を支える必要があるのです。
■老いと脳の自然
私たちの脳は年齢を重ねるほどに、新たなチャレンジが難しくなる傾向があります。
チャレンジには前向きで積極的な心の状態が必要になるからです。
「脳科学」の研究では、40歳を過ぎるくらいから神経伝達物質の「セロトニン」の分泌が減少していくことが指摘されるのです。
セロトニンは心の状態を安定させ、穏やかに導く物質。だから年齢が上がるほどに、抑うつ状態を起こしやすくなると考えられているのです。
セロトニンの分泌の現象から、子供よりも大人の方がウツ症状を起こしやすい、そのようにも解説されるのです。
どんなに年を重ねても、ワクワク・ドキドキするための自分づくり。“初心忘るべからず”の心境のまま、青くさくとも光り輝く挑戦をし続けたいものですね。
その際、基本となるのは健康な体です。食べものを含めた生活環境を日々整え、挑戦できるだけの自分づくりを欠かさないようにしなくてはなりませんね。
今回は初心と挑戦について考えてみました。
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■このページのまとめ
・初めてのことはリスク100%で難しい ・一本目が出れば二歩目、三歩目はスムーズ ・初心忘るべからずは常なるチャレンジを続けること ・自然栽培初年度の生産者は不安のあまり肥料農薬に手を染めやすい ・脳は年齢を重ねるごとにセロトニンが減少するので意識的な挑戦を! ・チャレンジの基礎は心身の健康にあるので、生活環境の整備を! |
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